理事長ごあいさつ
2012年 震災乗り越えた神戸に、未来の宝東北の子供たちに夢と希望と絆の
架け橋プロジェクト
私は、神戸市北区を中心に美容室を経営しております、西山 博資と申します。
私、西山 博資は、京都の新谷 浩治さんと共に、この度、2012年の8月の下旬に、東日本大震災で、被災された子供たちを、美容を通して、神戸に招待したいと考えております。また、そのときに、お手伝いして頂ける、ボランティア、そして、資金協力などをお願い頂ける方々を探しております。
今回、宮城県の特定非営利活動団体 アクティブ リンク 代表 今野 智氏より賛同いただき、このプロジエクトの理解と協力を得て、共にこのプロジェクトを立ち上げ、今回の活動を共に行うこととなりました。
なぜ、このような、活動をしようと思ったのか?私は、1995年!阪神淡路大震災の中、当時、神戸兵庫区上沢地区に、美容室の店を構えておりましたが、当時、3件のお店は、2件は全焼、1件は半壊!自宅も半壊。社員寮2棟も全壊でした。家内は、臨月という重身であり、額が割れ、5針縫う怪我に見舞われました。唯一、残った店舗で、どこよりも早く、「無料シャンプー」させて頂きました。社員みんなが、京都に足を運ばせて頂いたり、ガスボンベに、ガスコンロ。ごみバケツに、ヤカンなど、ありったけの、お金を持って、買いにいき、クタクタになって帰ってきたのが思い出します。その時に、マネージャーとして、率先して、頑張ってくれたのが今回の新谷 浩治君です。また、井戸水を分けて頂いた、兵庫区会下山町の井戸坂動物病院様、兵庫区荒田町の中山精肉店様、また、美容メーカーのミルボン様、ヘンケル・シュワルツコフ様、ナプラ様、デミ様、ウエラ様、アリミノ様、ハホニコ様。その他多数のシャンプーなどの協力を経て、徹夜をしながら、お湯を社員と共に沸かした事を思いだします。
それから、3年後、平成10年に、お店も建て直しした、矢先に、湊川大水害の被害に合い、もう、生きる気力さえも、なくなり気持ち的に、もうやれることはやった!つぶれてしまおう!そんな日々を送っておりました。
そんなときに、2000年3月北海道有珠山が噴火。私の実家近くの、雲仙普賢岳の噴火を思い出しました。何故か、いてもたっても、いれなく、社員と、美容の仲間と有珠山にボランティアカットに行きました。子供たちや、ご年配の方々が、本当に、喜んでくれ、必要とされている。生かされているんやな!
と考えさせられながら、その年、三宅島の噴火!何も出来ない、行けない!
そんな時、毎日新聞の「笑顔お返しプロジエクト」の欄を見て、何か、子供たちに!そんな思いで、ホストファミリーに申し込み、抽選の結果、ホストファミリーをさせて頂くことになりました。
六甲荘だったでしょうか?初めて、三宅島の子供たちと会いました。
私たちのところには、「宮沢 良平 君」が我が家に。なかなか、溶け込もうとしなく、家族会議していたにも関わらず、そのとおりには、行きませんでした。
いろんな話をしたり、いろんなところに、遊びにも行きました。
日数も少なくなっていく中、息子たちと「宮沢君は、島育ちやから釣り好きなんちゃう!」などと話をしました。私たち家族も釣りが好きですので、そこで釣りに行き、宮沢君から笑顔が出てきました。そのときは、涙がこみ上げてきました。海で遊んでいたこことを沢山、話してくれました。夏になれば、堤防から飛び込んで遊んでいたこと、モリをもって魚を取っていたこと。それから「宮沢君」からあだ名が「ミャリョウ」に。せっかく打ち解けたのに、お別れの日が来ました。私たち家族にとって、ミヤリョウはもう1人の息子です。まだ、三宅島に帰れず、東京での、生活が続く中、ミヤリョウから、ビデオレターが届きました。相変わらず、テレ屋さんでしたが元気が伝わってきました。それから、長男である、我が家のタクトは同級生でもありますが、二人で、情報を交換していたんですね。
現在は、メールで。三宅島に帰る時も、連絡をくれ、ミヤリョウのお母さんからも手紙が来たり。一番、嬉しかったことは、就職の知らせを、してくれたこと。今、日本丸に乗っていて、神戸に入港したら、必ず連絡をくれます。一緒に食事したり、お土産送ってくれたり。彼は、これからも私たちの子供です。
この、ホストファミリーをさせていただき、多くのことを学びました。
子供たちは将来の宝と考えています。この子たちが大きくなり、復興した神戸を見て、感じて、東北を盛り上げてくれたら・・・・・・そんな想いです。
また、この子供たちを大事にしようとする高齢者の方々の活動や、心の痛みも感じさせて頂きました。
陸前高田・気仙沼・松島・塩釜・・いっぱい、いっぱいの方に出会いました。
今年は、宮城・塩釜市、浦戸諸島の方々!素晴らしい方々ばかりです。お年寄りを労わり、笑顔を絶やさず、大人のお手伝いを素直に行う。そんな子供たちに、夢を与えてあげたい。未来を見せてあげたい。神戸も大変だったけど、こんなに復興した神戸を、美容を通して見てもらいたい。阪神大震災に遭遇した方たちと、交流を持って頂く事で、少しでも、元気・勇気・絆を感じてもらえたりして頂ければ嬉しく思います。この子供たちは将来の宝です。
毎年毎年、東北の宮古、気仙沼、陸前高田、南三陸などから、神戸に呼んであげたい。そんな気持ちでいっぱいです。そして、力強い絆を作ってもらいたい
神戸が、これだけがんばって復興したことを。見てもらいたい。
でも、私、1人の力では、何も出来ません。よろしければ、この思いに賛同していただけ、協力してもらえる方々を募りたいと考えています。
是非とも宜しくお願い致します。この、企画は、毎年行っていこうと意志を固めており、役員と協賛して頂ける皆様と共に、続けていきたと思います。
1人でも多くの、夢を持った東日本の方々たちを神戸に!!
その他の活動と致しまして、「ゴミゼロ運動」そして、私たちの仕事でもある、「ボランティアカット運動」を推進していきます。
浦戸諸島には、現在、理美容室がありません。年齢層も高く、島から出て、カットできず、文具ハサミでカットしたりと、そのような声もきいてきました。
これから私たちは。
(1)ゴミゼロ運動
(2)浦戸諸島への美容室再生・再開運動
(3)夏・冬の神戸・東北 未来の宝 絆プロジェクト推進
そして、神戸では、淡路島を中心とした動きをしてまいります。淡路島は震源地でもあります、しかし、今回の小学生の高学年は阪神大震災を知りません。
東北の子供たちと、淡路島の子供たちが素敵な交流が出来き、夢・希望・絆が結ばれることを願っております。それが、一番の願いです。
なにとぞ宜しくお願い致します